2007年3月
                                       

更新休み

近日に引越しのため、引越し先がネットにつながるまで更新できません。





こういうとき、異人さんのセンスにゃかなわねぇなと思う。

ここまで、イラストで牛の概念を凌駕するとは思わなかった。



転勤

4月1日より、仙台に転勤と決まった。
ついにまた、もう戻ることはないだろうと思っていた、
ドロリ金泥極彩色に目が潰れた、あの5年間の街に戻るのである。



アンパンマンの闇

アンパンマンの作者・やなせたかしの心の闇について語ろう。

某有名サイトでも触れられていたが、
やなせたかしは新宿に20年住んでいる。新宿鮫。
昔は貧しさと鬱と自殺衝動に苦しみ、ドブの臭いのする新宿の片隅で、
貧しさの中、自殺寸前まで追い詰められて戻ってきた男である。

やなせたかし作詞のアンパンマンのオープニングテーマは実は2番だ。
理由は、1番と3番は
「 なんのために生まれて なにをして生きるのか 」
「 時ははやく過ぎる 光る星は消える 」
と、子ども番組に似つかわしくない苦悩や無常観を謳いあげているため
重すぎてアウトだからである。

2番も、双子の歌手・ドリーミングの
明るいハモりで見逃してしまいがちだが
「なにが君のしあわせ?なにをして喜ぶ?」
とか、実は重い。

サザエさんのオープニングテーマも実は2番だが、
1番の歌詞が 「 2階の窓を開けたらね 」 で
平屋の磯野宅に合わないからという、ぬっるい理由とは、レベルが違う。
アンパンマンの1番は重い。重すぎる。
素人にはオススメできない、ってやつだ。

やなせたかしは「手のひらを太陽に」も作詞しているが、
あれは自殺寸前のときに作ったもので
「オケラだってアメンボだって友達なんだ」
は暗い崖っぷちから生還した、なまなましい言葉だ。

一見真逆とみえる「愛と勇気だけが友達さ」も根は同じ。
アンパンマンの根底にあるのは、
死に片足つっこんできた人間の心である。

アンパンマンがやたら自分の顔を食わせるのも、
戦後の貧しさと飢えの中で生まれた設定であることに加え、
これまでに挙げた背景を考えると、非常に意味深。

最近はPTAから「残酷だ」というクレームを受け、
アニメであまり顔を食わせなくなったそうだが、
なぜ彼らは表面しか見ようとしないのか。

病院で泣きわめいて治療を終えた幼児が、
ご褒美になにを食べたいと問う祖母に、
アンパンマン食べたいと泣きながら答えるのを、
私はこの眼でしかと見た。
残酷との評は浅はかにすぎぬ。
汝、表現形の奥を刮目せよ。

テレビ番組「いつ見ても波瀾万丈」に出演したときに
「 キャラなんて1分で作ってるよ 」と飄々と言って、
撮影用モニターを眺めながら
その場でテキトに「モニターマン」なるものをサラリ描きあげた、やなせ氏。

彼のライトな表現の奥には
闇を覗いた人間の混沌が渦巻いている。



タクシー

タクシーの中の、運転手のイラストのぬるっぷりが、たいそうよかった。

遠距離割引らしいけれど。

目がイッてる。あごムチムチ。手の生え方おかしい。

正気を手放した感じがしてよいです。


腹のくくりかた

3月いっぱいで退社するつもりで、
会社にもその旨を伝え身辺整理も済み、次への準備も終えていたが、
諸事情により保留となった。

退社の理由は某伝統工芸の職人になるということで
弟子入り先も見つけていたが、
一度サラリーマンになった身としては、現実問題、なかなか難しい。
退社保留は不本意な感がぬぐえぬ。

とはいえ、踏みとどまって自分を見つめなおし、よかった点もある。

抽象論になるが、どのような仕事であっても
「 自分はこれが出来る 」 「 これをやったんだ 」「 自分の売りはこれだ 」
という確固たるモノを、仕事を通して自分の中に作り上げれば、
つまり “ 自分はなにものか ” を自分の言葉で語ることが出来れば、
どのような職場・世界に行っても通用するだろう。
(逆にそれがないと、どこに行っても通用しない)

しかし今の自分にはそれは無い。

なんであれ、求める姿になるためには
追い詰められること(または自分を追い詰めること)が必要だ。
追い詰めが決断につながる。

そしてその決断のベースとなるのは、
上に挙げた「自分の売り」「自分とはなにものか」を語れるの自信だと思う。

追い詰められた時(自分を追い詰めた時)の決断力、
「 腹のくくりかた 」 とでも言おうか、
せっかく運よくカタギになったのだから
もう少しカタギとして生き、それをおぼえてから次へ行こうと思いなおした。

そして、自己実現の決断を、
腹をくくって下せるようになるチカラを蓄える。



落研

学生の頃、学校祭のイベントで、
アメフト部や柔道部もまざっての部活サークル対抗の筋肉番付が開かれ
落研(落語研究会)が優勝していた。

大詰めのコサックダンス耐久戦、
「 キミのふくらはぎは耐えられるか!?乳酸という名の暴力に!!」
と珍妙にテンションの高い実況が渦巻き、
運動部員が次々と脱落していく中で、 コサックし続ける落研の姿。

そう、それはまるで「赤きサイクロン」こと、
ストUのザンギエフが乗り移ったかの如し。全面クリアした時のザンギ。
そのとき私は、彼ら落研の背中そして足腰に、
真のグルジア魂を見たのである。



コロコロ

絨毯のホコリ取り用の粘着テープローラーを
なにげなく コロコロ と呼び
「ああ、そろそろコロコロ買わなきゃ」 等と言っていたため、
まおはいまだにコロコロコミックを購入・愛読しているらしい、
という噂が流れた。



母子

温泉に入ったら、
全盛期の広末涼子を若くして、小さじ1杯の小倉優子を加えたような、
顔も体も肌も、ドキッとするような危ういエロスと可愛さが同居している
中学生か高校生の女の子がいてたまげたが、
一緒にいたその子のお母さんがバラモスみたいなのに、さらにたまげた。




音楽

好きなバラード系の歌をまとめた中に1曲だけ
八神純子「水色の雨」をまぜておいてランダム再生にして
前触れなく流れ出すとマジにテンション上がる。



3D

支店社員約200人の中に、
半端なく太っているオッサンが3人いて
通称 「 3D 」( スリーディー)。

しかも、一番偉くて一番重い、トップDが
「 どこそこのあれは美味いぞ 」と勧めるものは
必ずと言っていいほど本当に美味しく、
伊達に3Dのヘッドを張っているわけではないのに感服。敬礼。



男鹿水族館

少し前のことになるが、男鹿水族館に行った。
地元の市長が
「 もし、水族館の改装オープンにシロクマ輸入が間に合わなかったら、
 オレがシロクマのカッコしてやるよ、ハハハ」
と啖呵をきったばっかりに、 改装オープンセレモニーでは
市長がシロクマのコスプレで挨拶をしたという、
いわくつきの水族館である。

荒ぶる日本海の岩場ギリギリに建てられている。
入り口そばの岩場。よく見ると、便座が落ちていた。


アップ。本当に便座だ。


魚屋にいそうな日本海の生き物をメインに展示が進み、
どっかの動物園みたいにすっとんきょうなこともなく、
シロクマ市長のわりにまともだなと思いながら歩みを進めると、
どっこい現れました、なんの脈絡も無しにアマゾンの小部屋。

しかも小部屋の中には陸棲の爬虫類ばかり。全然水族館に関係ない。
怪しげに照明を落としジャングル探検グッズで室内を装飾し、
インディジョーンズ系の雰囲気。
それまでのほのぼの感をかなぐり捨て、
誰かが趣味に走っている香りがぷんぷんとたちこめる。

写真を撮り損ねて惜しむところだが、 中はいきなり、
現地の原住民が川の中で使用しているという前貼りの展示からスタート。
しょっぱなから水族館の概念の大気圏を軽々と超え、
サブカル系文化人類学の宇宙へ飛び出した。

そして陸棲カメの展示に入るのだが、
カメの解説が容赦なく一言。 すごい。

「よくねる。」

カメは寝てなかった。

「おおきくなる。」

こっち見てる。

「せまい場所がすき。」

グダグダしてた。

「よくうごく。」

別に動いてなかった。

しまいには「ベロが青い。」

アオジタトカゲという種名を言い直しただけだ。

さらに歩みを進めると 「 さわれます 」 の表示。
なになに!?なにに触れるの!?おさわりOK!?


ナマコだった。しかも大量。

おっぱいよりも、やわらかかった。

ぬるいザリガニの絵。

ナチュラルにこれを書ける小学生パワーに平伏。

まったくやる気のなかったペンギン。


全体的にまともな水族館だが、ところどころ注目ポイントが点在している。

帰りに回転寿司で、水族館で見た魚を食った。
ヒラメなんて、水槽の中じゃやる気なかったけど、
寿司になってみると結構やり手だった。セルフ食育。



携帯

携帯を替えた。
これまでの携帯は、デフォルトで入っている予測変換の充実がすごかった。

相当にコアな洋楽歌手から怪しげな民間健康グッズ名まで、
果てには 「 マヤノトップガン 」 (競馬ウマ)と、
イミダス並みの雑学を誇っており、実に私好みであった。

ついには完全に音が出なくなり、写メは無音盗撮も可能になるという、
パートナーの好みのタイプになるためになら
なんでもこなしちゃうぜ感すら漂い始めたが、
やっぱ音出ないのはやりすぎアウトってことで別れを切り出し、機種変更。
合掌。